袋小路に花は咲く

読書や映画の感想

PK(2014 インド)

人間と同じ容姿の宇宙人が地球に訪れたけど、帰れなくなって地球で生活する話。主人公は生活の中で、宗教とは、神様とは何か、について疑問を持つことになる。真実を知るために道行く人に色々と聞いて回る。「神様はどこにいる?」と。おかげで人々から「PK(よっぱらい)」と呼ばれる。PKの疑問は果たして本当に酔っ払いの戯言のようなものなのか。社会問題に宗教観などを、無知の存在である「PK」に語らせることで固定観念や刷り込みについて再考させられる。

 

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人間の見た目をした裸の宇宙人が調査ミッションとしてインドのラージャスターン州に到着したが、宇宙船のリモコンが盗まれてしまい地球に足止めされてしまう。宇宙人は、泥棒からカセットレコーダーを何とかして奪い取る。

同じ日のベルギーでは、ジャグーという女性が、サルファラーズに出会い、彼と恋に落ちていた。しかし、ジャグーの父は熱心なヒンドゥー教信者であり、パキスタン人のムスリムであるサルファラーズとの交際を猛反対していた。父は慌てて導師のタパスヴィー様に相談に行くが、サルファラーズはジャグーを裏切るだろう、と預言される。ジャグーはその預言が嘘だと証明するために、サルファラーズにプロポーズし成功する。しかし彼女は、文化の違いのために結婚をキャンセルしたいという旨の手紙を受け取り、結婚式のチャペルで悲しみに暮れる。

ジャグーはインドへ戻り、テレビ記者となるが、街でその宇宙人と遭遇する。宇宙人は「神さまが行方不明」と書かれたチラシを配っていて、ジャグーは興味をそそられる。彼女は、彼が賽銭箱から金を盗んで捕まりそうになっているところを助け、彼の信頼を得る。

その宇宙人は彼女に、自分は他の惑星から調査としてやって来た科学者であり、自分の星の人間は服を着ることもなければ、宗教を信じることもない、と語る。彼らは握手をすることで意思の伝達ができるため、会話をすることもないという。彼は、カーセックスをしているカップルから衣服と金を盗み、人間に溶け込む。

彼はうっかりトラックに轢かれてしまうが、その運転手の楽団長バイロンと仲良くなり、楽団一行と一緒に連れて行かれる。宇宙人は、街ゆく人々の手を握ることで意思疎通を図ろうとするが、変態だと思われて追い払われてしまう。そこで、楽団長は彼を売春宿へ連れて行き、そこで宇宙人は売春婦の手を6時間握り続けることで、ボージュプリー語を習得する。

会話ができるようになった宇宙人は、楽団長から泥棒はデリーにいるはずだと教えてもらい、デリーへ出発する。その宇宙人の奇怪なふるまいから、人々は彼のことを酔っ払いだと思い込み、「PK」(ヒンディー語で"酔っ払い"の意味)と呼ぶ。さらに彼らは、彼のリモコンを見つけることを手助けできるのは「神」だけだと教える。PKはその言葉を真に受け、「神」を見つけるためにあらゆるインドの宗教的行為を実践するが、役には立たなかった。その後、彼は、導師のタパスヴィーが自分のリモコンを持っているのを発見するが、導師はそれを神からの贈り物であると主張し、リモコンを返すことを拒む。そこで、ジャグーは、彼女がリモコンを取り返し、自分の星へ帰らせてあげようとPKに約束するのであった。

PKは、タパスヴィーら導師達は神と連絡をするにあたって、電話番号の「かけ間違い」をしていて、それゆえに民衆を無意味な宗教儀式に巻き込んでしまっているのだと推測する。そこでジャグーは、自分の局へ動画を送ることを民衆に促し、導師の不正を暴こうとする。この「かけ間違い」キャンペーンは民衆の間で一気に広がり、タパスヴィーは狼狽する。一方で、楽団長のバイロンは、泥棒を見つけ出してPKに連絡し、彼がリモコンをタパスヴィーに売ったと認めたことを伝える。それによってPKは、タパスヴィーが実はいかさま師であり、「かけ間違い」は存在しなかったことに気づく。楽団長は、泥棒を連れてデリーへ向かうが、PKと再会する直前でテロ攻撃に遭い死亡してしまう。そのテロ攻撃は後に、タパスヴィーの集団が、彼らの神を守るためにしたものだと明かされる。

逃げ場をなくした導師のタパスヴィーは、PKとの対決を了承し、ついに二人は生放送の公開討論番組で直接対決することとなる。

 「きっと、うまくいく」の監督と主演が再びタッグを組んだ話題作。

 「きっと、うまくいく」同様、社会問題に切り込んだ作品になっていて、この監督の作品は今後とも支持していくことになりそう。

きっと、うまくいく [DVD]

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この作品、個人的にすごく好きだった。日本では先日、清水冨美加の幸福の科学問題で新興宗教が話題になったけど、そういった話に疑問を持っている人とか関心ある人は観た方がいいのかもしれない。

当たり前のように日常に組み込まれているものには中々疑問を抱くことはできない。ヒンドゥー教徒はまさにそれであり、信仰心があるから事の真偽を疑わない、というのは思考停止であり間違っていることだと思う。それは搾取するための理由づけに過ぎないと思うし、たとえそれが神の定めたことだとしても、自分のルールや信条や価値観に照らし合わせて考えてみるべきだと思う。

PKという外来生物の視点を借りることで、今の世の中のおかしいところを洗いざらい話題に上げていく。それを懐疑心とかで判断するのではなく、純粋に筋が通っていないことをPKは疑問に思ってそれをぶつけていく。しっかりと判断することが出来れば、きっとそれは間違っているということは誰にだってわかるはずだ。

人間は心の弱い生き物であると思うし、だから宗教とか神様とか空想の存在、全知全能の自分たち人間の上位の存在を作って、心の安寧を保とうとするのは当然の作用だから仕方ないことだけど、だからといって自分が無力な存在で選択する自由を持っていないという考え方は極論過ぎるというか、自己を持っていないというか、なんというか馬鹿でしかない。

こういった話は実際問題すべてを知覚できる人間はいないのだから、神様はいるかもしれないし、いないかもしれない。それは宇宙人がいるかどうか、というテーマと変わらない眉唾物の話ではあるが、自分で考え直してみる必要はあると思う。それらをわかりやすく、何も知らないところから一緒に考えさせてくれる点で、この映画は優れている。

少しストーリーがテンポ悪いのと、テーマが宗教についてなので、好き嫌いははっきり分かれる作品だとは思うけど、理詰めに物事を考えられる人ならきっと楽しめると思う。まぁ、理詰めで考えられる人はこの手の話は自ら考えて持論を持っているだろうし、そういうものと併せて楽しめる作品になるかもしれないし、もう知ってるよ!って二番煎じを感じてしまう駄作になってしまうかもしれない。ぼくは前者だったので十分楽しむことが出来た。2016日本公開の映画で上位にランクインするほどの良作だと思った。

 

ただ、インド映画の歌、あまり好きじゃないんだよなあ。あと、主人公の白目の量多すぎ、本当に宇宙人みたいな雰囲気出ててよかったけど、アーミル・カーン平田広明は声違くない?って思う。(おしまい)