袋小路に花は咲く

読書や映画の感想

「明日、君がいない」(2006 オーストラリア)

 

明日、君がいない [DVD]

明日、君がいない [DVD]

 

 

 友達に面白い映画は無いか、と尋ねられて、過去にこの映画は見たほうが良いと思ったことが有った記憶から勧めた「明日、君がいない」を再び観たくなって観た。

いじめや障害がテーマになっている作品が好きだ。人間は何かしらどこか変わっているのは当然なのだけど、それが目に見える形で現れるかどうか、で生き方が違ってくる。いじめや障害は、損な役を担うことになってしまった人たちの形。それが現実問題として自分のまわりに現れたらどう思うか、ならばきっと答えは変わってくるのかもしれないが、創作や表現として用いるときには伝えたいことをこれ以上なくしっかりと輪郭をはっきり伝えることが出来るアイデンティティだと思う。それを差別だとか詰られてもぼくはあくまで当人の個性を含めて言っているわけではないから改める気はない。

実際にそういう人がいれば、ぼくはその人全体でみるようには心がけているし、きっと一つの異があっても気にしない。ぼくも周りから見ればそういう部分がどこかしらあると思うから。それを互いに目をつぶるなり認めるなりして人は関係を継続していくものじゃないかな。だから、「同性愛を馬鹿にしているのか!」とか「いじめられている人間を観て面白いのか!」とか批判してくる人がいるとしたら、その人自身こそが批判される側なのではないのかな、と常々思う。

概要はこんな感じ。

 10代の若者が抱える深い悩みをリアルかつ切実に描き出しカンヌで話題を集めた衝撃作。これがデビューのムラーリ・K・タルリ監督は、友人を自殺で失った半年後、自らも人生に絶望して自殺の道を選ぶが、幸いにも一命を取り留めたのをきっかけに、弱冠19歳で本作の製作に取り組み、2年の歳月をかけて完成させたという。それぞれに悩みを抱えたごく普通の6人の高校生に焦点を当て、そのうちの1人が午後2時37分に自殺するという事実を前提に、彼らの1日をそれぞれの視点から描き出していく。
 成績優秀な高校生マーカスは、一流弁護士で高額所得者の父を尊敬している一方で、両親のプレッシャーに苦しんでいた。その妹メロディは、心優しい女の子だが、両親から疎まれていると感じていた。スポーツマンのルークは“学校は弱肉強食のジャングルだ”と言って弱い者イジメを繰り返す。イギリスから移住してきた片脚が悪いスティーヴンと、長髪でゲイのショーンはそんなルークの格好の餌食になっていた。一方、結婚を夢見るサラはマッチョなルークにぞっこん。そして学校でも家庭でも、そんな彼らが抱える悩みに向き合ってくれる大人はひとりもいなかった…。

 

この記事もほかの記事同様観終わった人に向けて書くからネタバレ含みます。

 

最後に死ぬのは誰なのか?というテーマで、今まであまり目立ったことのないキャラクター「ケリー」が死ぬっていうオチだけど、この作品のタイトルはまさにそれを象徴していると思う。

大事な人が死ねば、その日に悲しむ。そして、その人の名前を知っているはずだ。君なんて言葉で片付けず名前で呼ぶはずだ。だけど、「明日、君がいない」。遅れてやってくる情報だとすれば、親しくないからだ。明日なのは、今日関わることがないからだ。君という二人称は面と向き合ってるからじゃない。代名詞で済む関係だからだ。

死んだケリーは場面場面でしっかりと出ている。主要主人公たちにしっかりとコンタクトをとっている。だけど、皆があまり関わってほしくないような素振りを見せる。主人公たちは誰にも言えない秘密や悩みがあって、周りを見ることが出来なくなっているのかもしれないけれど、そのときの態度がケリーを追い詰めた。ケリーは周りに認められていない。いてもいなくても変わらない存在だ。この物語はケリーじゃなくても成立する。そんな存在の人間が死んでしまう話だからこそ考えさせられる。

主要人物は誰かしらにしっかりと存在意義を見なされている。でも、ケリーは違った。自殺した人、としかアイデンティティがこの映画の中には無い。

どんなにいじめられていても心に何かの希望があれば乗り越えることは出来る。だけど、希望が無ければ進むことも耐えることも出来ない。ぼくたちはそういった希望を持つことが出来るか、生きるために必要となる人はいるのか。観終わった後に考えさせられる映画だと思う。

エロワードが多すぎたり、強姦シーンがあったり、と親子で観るにはちょっとハードル高かったりするかもしれないけれど、絶対に見てほしい一作だ。この映画をいいと思うか悪いと思うか、それぞれ感想を聞いて回りたい作品。